沖縄本島は米軍基地の枯葉剤とかで土壌汚染されている

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 返還軍用地の汚染の実態が浮き彫りになったのは2013年、沖縄市サッカー場(1987年返還)でドラム缶が見つかり(最終的に108本)、ダイオキシン汚染が発覚した時だった。

 工事現場からドラム缶などの廃棄物が発見されることはままあることだが、サッカー場の一件は尋常ではなかった。ドラム缶表面に米軍がベトナム戦争中に使っていた化学兵器・枯れ葉剤の製造会社名が書かれていたからである。

 「沖縄なくしてベトナム戦争は戦えない」。ベトナム戦争が泥沼化した1965年12月、星条旗新聞の見出しを飾った米太平洋軍トップ、グラント・シャープ司令官の言葉である。沖縄は前線基地だった。

 沖縄からベトナムへ、兵士や武器だけでなくタバコやトイレットペーパーまで送り込まれた。フェンス一枚隔てた米軍施設内に何が貯蔵され、戦後どう処理されたのか、沖縄の人たちは知る術もなかった。

 サッカー場が返還されてから26年後、地元沖縄市と沖縄防衛局が別々に実施した土壌調査では、ともに環境基準を上回るダイオキシンが検出された。沖縄市は枯れ葉剤の可能性を示した。一方、沖縄防衛局は枯れ葉剤の存在を認めず、両者の評価は食い違った。

きついっすね


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